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最高裁判所第一小法廷 平成5年(行ツ)160号 判決

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンジェルス

ベヴァリーブールヴァード八七〇〇

上告人

シーダーズーサイナイ・メディカル・センター

右代表者

ポール・M・イェガー

右訴訟代理人弁護士

品川澄雄

同弁理士

青山葆

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 麻生渡

右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行ケ)第一七二号補正却下決定取消請求事件について、同裁判所が平成五年三月二五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人品川澄雄、同青山葆の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 小野幹雄 裁判官 大白勝)

(平成五年(行ツ)第一六〇号 上告人 シーダーズーサイナイ・メディカル・センター)

上告代理人品川澄雄、同青山葆の上告理由

第一、 上告理由第一点

原判決には、その理由に齟齬がある。

一、 原判決は、甲第二四号証には、

「常套の方法により凍結乾燥した直後の乾燥フィブリノーゲンとアルブミン調整品を乾燥装置のカセット内で六〇℃に一〇時間加熱することは、ボトキン伝染性肝炎ウイルスを確実に不活化する方法であると結論してよい。」(訳文八頁下から四行ないし末行)

と記載されていることを認定しながら、同号証には、

「伝染性肝炎ウイルスは、これまでに単離されておらず、かつ実験室条件でこれを培養する方法も存在しないので、われわれのモデル実験では、病気の原因ウイルスに対する代替ウイルスを使用した。これら代替ウイルスには、一九六一年に急性段階の伝染性肝炎患者の血液から単離されたコクサッキAウイルス一五八KR株と一九六五年に伝染性肝炎患者の血清から単離されたアデノウイルスI型七五三九株が含まれる。これら二種のウイルスは、今日、ボトキン伝染性肝炎の原因ウイルスである可能性を持つものと考えられている(略)。上記二種に加えてイヌ感染性肝炎ウイルスPS株も試験対象とされる。これらのウイルスは全て熱抵抗性である。」(訳文三頁一二行ないし 二四行)

と記載されていることを根拠として、

「この記載によれば、本来の伝染性肝炎ウイルスが使用不可能であるため、ボトキン伝染性肝炎の原因ウイルスである可能性のあるコクサッキAウイルス、アデノウイルスおよびイヌ感染性肝炎ウイルスが使用され、その乾熱不活化が確認されているに過ぎないもの認められる。」

とし、

「してみると、甲第二四号証の記載からは、いろいろな肝炎ウイルスのうち、ボトキン伝染性肝炎ウイルスについては、乾熱不活化の可能性が推定されるものの、他の肝炎ウイルスについてまでも乾熱不活化の可能性が推定されるものということはできない。」

と述べ、さらに、本願発明の発明者が乙第一〇号証に、

「加熱が肝炎ウイルスを有意に不活化したが否かを決定するためにチンパンジー試験が計画されている。」

と述べ、又、乙第一一号証にも、

「明らかに、いかなる加熱温度および加熱時間が意味ある肝炎ウイルスの不活化にとって必要であるかを今後のチンパンジー試験で決定しなければならない。」

と述べて、

「右事実によれば、本願発明の発明者自身、一九八一年当時において、肝炎ウイルスを凍結乾燥状態における加熱処理で不活化することについて未確認であって、確認の必要があると考えていたと認められることからしても、甲第二四号証の記載からは、肝炎ウイルス一般について乾熱不活化が推定されるものでないことが裏付けられるものというべきである。」

とし、

「以上のとおり、本願の優先権主張日当時において、溶液状態におけるウイルスの熱処理による不活化は当業者に知られていたと推認されるが、液状加熱による不活化条件をもって、凍結乾燥状態におけるウイルスの不活化をなし得るものと予測することは出来ず、また、凍結乾燥状態において、ウイルスが熱処理によって不活化されることが知られていたものと認めるに足りる証拠はない。」

と判示している。

二、 原判決の右判断は、

(1)、 甲第二四号証に記載されている「ボトキン伝染性肝炎ウイルス」なる技術用語の意味を誤解し、

(2)、 「代替ウイルス」なる技術用語の意味を誤解すると共に、

(3)、 甲第二四号証の「モデル実験」の持つ意味をも誤解した

ことに基づいて誤った判断を下したものであって、明らかに民事訴訟法第三九五条第一項第六号の「判決理由に齟齬あるとき」に該当する。

以下これを説明する。

(一)、 「ボトキン伝染性肝炎ウイルス」とは甲第二四号証が、モスクワにおいて行われた輸血国際学会の会報であり、発表者が「モスクワ血液・輸血中央研究所」の研究員らであることから、ソ連で慣用されている使用された用語であって、「伝染性肝炎ウイルス」のことを指している。

ソ連ではソ連の医学者ボトキンが流行性肝炎が感染性のものであることを初めて実証した功績を記念して「ボトキン伝染性肝炎」と呼んでいるのである。

従って原判決が、

「甲第二四号証の前記記載によれば、ボトキン伝染性肝炎ウイルスは『六〇℃、一〇時間の乾熱』によって不活化するものと推定される。」と認定したことは、とりもなおさず、甲第二四号証には、「伝染性肝炎ウイルスは『六〇℃、一〇時間の乾熱』によって不活化すると推定される」と記載されていると認定したことに他ならない。それにも拘らず、原判決は右の二つの命題が恰も異なるかの如くに前提して、判断を進めているのであるから、その理由に齟齬のあることは明白である。

なお、肝炎ウイルスの中でヒトに感染してウイルス性肝炎を発症せしめるウイルスが、「伝染性肝炎ウイルス」であることは言う迄もない。

(二)、 ところで、甲第二四号証の発表当時、「伝染性肝炎ウイルス」は未だ単離されるに至っていなかった。また、実験室的にこれを培養する方法も存在しなかった。

甲第二四号証に記載の如く、「伝染性肝炎患者の血液から単離されたコクサッキAウイルス一五八KR株」と、同じく「伝染性肝炎患者の血清から単離されたアデノウイルスI型七五三九株」の二種のウイルスは、当時「伝染性肝炎ウイルス」である可能性があると考えられていたが、そのことは未だ確認されていなかった。

しかし、甲第二四号証の実験者らは、「本研究においては…ボトキン流行性肝炎ウイルスの不活化手段を見いだすことを企図」(訳文三頁六行、七行)したが故に、前記二種のウイルスとそれに加えて、「イヌ感染性肝炎ウイルスPS株」をも用いてこれらを、「伝染性肝炎ウイルス」の代替ウイルスとして実験を行ったのであって、これらのモデル実験に用いられたウイルスが、「伝染性肝炎ウイルス」であることの確認は得ていなかったにしても、前記二種のウイルスが何れも「伝染性肝炎患者の血液あるいは血清」から直接単離されたウイルスであったことからして、その実験結果が「伝染性肝炎ウイルス」についても妥当しうる極めて合理的な代替ウイルスであったと言わなければならない。

原判決は、甲第二四号証の記載によれば、

「本来の伝染性肝炎ウイルスが使用不可能であるため、ボトキン伝染性肝炎の原因ウイルスである可能性のあるコクサッキAウイルス、アデノウイルスおよびイヌ感染性肝炎ウイルスが使用され、その乾熱不活化が確認されているに過ぎない」

というが、この認定は、前述の如く、伝染性肝炎ウイルスと「ボトキン伝染性肝炎ウイルス」とが同義であるということを念頭におくならば、上告人が右に述べたと同一の認定を原判決もしているということになるのである。

しかるに、ここでも原判決は「ボトキン伝染性肝炎ウイルス」の「意味を誤解した結果、誤った判断に迷い込んでいるのである。

それ故、

「甲第二四号証の記載からは、いろいろな肝炎ウイルスのうち、ボトキン伝染性肝炎ウイルスについては乾熱不活化の可能性が推定されるものの、他の肝炎ウイルスについてまでも乾熱不活化の可能性が推定されるものということできない。」

「甲第二四号証の記載からは、肝炎ウイルス一般について乾熱不活化が推定されるものでないことが裏付けられる。」

としたことはその理由に齟齬があり、

「凍結乾燥状態において、ウイルスが熱処理によって不活化されることが知られていたものと認めるに足る証拠はない。」

としたことは、その理由に誤りがあると言わなければならない。

(三)、 なお、原判決は、本願発明の発明者が本頭発明の出願前に公表した報文の抜粋たる乙第一〇号証、乙第一一号証を援いてこれらによれば、

「本願発明の発明者自身、一九八一年当時において、肝炎ウイルスを凍結乾燥状態における加熱処理で不活化することについて未確認であって、確認の必要があると考えていたと認められる」

と述べているが、これらより後に出願された本件特許明細書には、「加熱温度、加熱時間および用いられる純度レベルの適当な調整によって、B型および非A非B型両方の肝炎ウイルスを、血漿画分の能力(viability)および治療上の完全性(therapeufic integrity)を保持しながら血漿画分中で不活性化しうる。」(甲第五号証の二、四八頁)と述べて、前記「確認」が行われたことを記載している。

第二、 上告理由第二点

原判決には、その理由に齟齬がある。

一、 原判決は、

(1)、 「本願の優先権主張日当時において、エイズ原因がウイルスであることが知られていたと認定することはできない。」

と述べ、又、

(2)、 「主として蛋白質と核酸とから構成されるウイルスには種々の構造のものがあり、ウイルスの種類によって不活化に対する耐性にも差異があり、各ウイルスの不活化条件は実施してみなければ判らないものである」

と認定し、本件各決定の判断に誤りはないと結論した。

二、 しかし、まず第一に、第(1)の命題である「本願の優先権主張日当時において、エイズの原因がウイルスであることが知られていた」か否かを本願発明の特許性と関連させて論じる限り、その「知られていたか否か」は、本願発明者が知っていたか否かが問われるべきであって、決して世間一般に或いは当業者に、知られていたかが問われるべきものではない。

発明者以外の何びとも知らなくとも、発明者が知っており、その事実が明細書に開示されているならば、それで充分であって、それ以上に出願当時当業者がそのことを知っているか否かを穿〓する必要は毫も存しないのである。

従って、「『一般に或るウイルスがどのような条件で不活化されるかは、実施してみて始めて判明することであって、単にウイルスであるということのみを根拠に、特定条件で不活化されることが自明であるということはできない。』とした本件各決定の判断を支持する根拠として、「本願の優先権主張日当時において、エイズの原因がウイルスであることが知られていたと認定することはできない。」ということを根拠の一つとして掲げることが誤っていることは明らかであり、原判決にはこの点で既に理由に齟齬がある。

そして、甲第二九号証によれば、本願発明者と同じく上告人病院に勤務していたアービング・ポザルスキーは、一九八〇年九月以降一九八二年までに五〇名を下らぬ患者に診療を加えた結果に基づいて、

「同センターのインターンやレジデントに対する講義において、私はAIDSの病因について話をし、恐らくウイルスであろう伝達因子によってそれが惹起されることを話しました。」(訳文二頁末行ないし三頁一行)

と述べているのである。

三、 一方、本願発明の出願当初の明細書には、その特許請求の範囲第1項に、

「第Ⅷ因子を含む実質的に乾燥した組成物中に存在する微生物の感染性を弱め若しくは除去するための該組成物の処理方法であって、微生物の感染性を弱め若しくは除去するのに充分な所定の温度で所定の時間該組成物を加熱することからなる前記処理方法。」

と乾燥、加熱による処理方法を記載し、さらに、第15項において、

「前記所定の温度が六〇℃乃至一二五℃の範囲内であることを特徴とする特許請求の範囲第14項に記載の方法。」

を記載し、又、さらに、第25項には、

「微生物がウイルスであることを特徴とする特許請求の範囲第1項乃至第24項のいずれかに記載の方法。」

と記載して、第Ⅷ因子を含む組成物中に存在する好ましくない微生物例えばウイルスを不活化するために、その組成物を乾燥状態で加熱する方法を示している。

そして、処理条件について、発明の詳細な説明には、

「乾燥状態でウイルス汚染AHFを加熱する効果は、上記の如きAHF凝固活性およびウイルス力価を検定することにより追跡され得る。肝炎ウイルスの場合のように生物学的に活性なウイルスの力価を測定するのが難しい場合には、PCT国際出願WO 82/03871 (1982年11月11日刊行)に開示されているようにバクテリオフアージ、シンドビス(sindbis)、アデノウイルスもしくはEHCウイルスの如き候補ウイルス(candidate virus)を使用し得る。あらかじめ力価を測定した候補ウイルスを加熱処理するための組成物溶液中に接種し、溶液を凍結乾燥しそして種々の加熱処理をする。生成物の加熱処理を左右するであろう条件として、実際の測定もしくは回帰分析(regressi on analysis)(統計的補外法)が所望のウイルス不活性化度を表わすポイントを選択し得る。組成物の湿気含量も調整すべき変数であるけれども、これらの条件は一般的にウイルス不活性化の時間と温度である。時間および温度は上述した。湿気含量は5重量%より低くすべきであり、通常は1重量%より低い。」(甲第五号証の二、五五頁、五六頁)

と記載している。

本願発明の方法においては、組成物中に含まれるウイルスは、組成物から取り出されることを要する目的物ではなく、組成物中において不活化を受ければ足りるものである。

従って、明細書の右の如き記載は、本願発明の方法におけるウイルスの不活化条件として充分な開示であり、それ以上の開示はなくとも、本願発明を実施するに足りる開示であると言わねばならない。

「本発明の他の典型的具体例の内に、AIDS、すなわち、後天性免疫不全症候群と関連のあるウイルス、サイトメガロウイルス(cytomegalovlrus)およびEBウイルス(Epstein-Barr virus)の如き好ましくない微生物の不活性化が含まれる。」(五〇頁)

との記載は、前記の如き乾燥熱処理諸条件を前提におくならば、充分に実施の可能な条件であり、本願発明の出願時の明細書にはエイズウイルスを含めて種々のウイルスの不活性化の条件が具体的に記載されていたと言わねばならない。

四、 しかるに、かかる原明細書の記載を全く無視して判断を進めた原判決には明らかに理由不備の違法がある。

以上

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